German translation of my Goosebook In April 2023, the Swiss children’s book publisher Baobab will publish the German translation of my book “The goose snatches the bread of the ducks, my childhood in a Japanese internment camp on the island Java”. Baobab Books is […]
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A Special Postcard: Speaking out against Concentration Camps, by a Survivor
A special postcard (Note 1) On 18 December 1944 my mother, my sister, my little brother and I were deported to a Japanese internment camp for Jews. By sending him a postcard my mother wanted to notify my father, who had been interned in […]
Read MoreInterview with Karim Bettache and Peter Beattie
Karim Bettache and Peter Beattie interviewed me about my ideas about racism. They are both professors at the Chinese University of Hong Kong. They research, study and teach the psychological and legal side of racism and colonialism. They also wanted to know how I […]
Read MoreHOW DOES A VARIANT OR MUTATION OF THE CORONAVIRUS DEVELOP?
HOW DOES A VARIANT OR MUTATION OF THE CORONAVIRUS DEVELOP? Amsterdam, 24 July 2021 As many of you will know, I studied biology and spent nearly twenty years teaching the subject at secondary school in the Dutch town of Wageningen. I notice that many […]
Read Moreアイデンティティー!? オランダ人でもモロッコ人でも、ユダヤ人でも非ユダヤ人でも、みんな〈コンビ〉でいいじゃない!(あとがきにかえて)
アイデンティティー!? オランダ人でもモロッコ人でも、ユダヤ人でも非ユダヤ人でも、みんな〈コンビ〉でいいじゃない!(あとがきにかえて) かつてわたしはマイノリティーに属していました。周りの大部分の人たちが褐色の肌をしている中で、わたしの白い肌は目立ちました。自分で選んだわけではないのに、わたしはある集団に分類されました。集団に分類することと集団に対する暴力は、切っても切り離せないものだということを、わたしは知りました。 わたしが7歳から10歳の間、大西洋の周辺で第二次世界大戦が猛威を振るっていました。日本はヨーロッパで同じことをしていたドイツと協力して、次々とアジア諸国を征服していきました。1942年の初めにはわたしが両親と妹、弟と共に住んでいたインドネシアを征服し、わたしたちを何年も抑留所に閉じ込めました。当時の話をわたしは孫たちに語り聞かせています。オランダ各地の小学校をまわり、この本のDVDも見せています。わたしたちが抑留所で描いた絵、どのようにして木の寝床で暮らし、バラック、見張り台、自由を締め出す門のある空間で遊んでいたかを見せるのです。母が古いダンボール箱から作ったゲーム盤も出てきます。ゲーム盤には抑留所で見たとおりの井戸、刑務所、〈死〉が出てきます。 DVDに合わせて、少しずつわたしの話がナレーションで流れます。最近、10歳の孫娘のクラスでも上映しました。終了後、子どもたちはみな黙りこんで座っていましたが、なんでも質問していいのよ、と言うと、さまざまな質問が飛び交いました。なぜオランダ人は収容されてインドネシア人はされなかったのか。いまでも悪夢にうなされることがあるか。お父さんはもどってきたのか。日本人はドイツ人のようにユダヤ人を毛嫌いしていたのか。 わたしの体験談に子どもたちは想像力をかきたてられ、まったく知らなかった世界に出合います。戦争では兵士たちがひどい行為を他者におこないますが、自分たちがなにをおこなっているのか見ることがなければ、罪の意識も感じずにすみます。ヒロシマに原爆を落とした米軍兵、日本軍のカミカゼ特攻隊、ホロコーストの一端を担うドイツ兵、ドイツの街を爆撃していたイギリス兵、ベトナムの村民やイラクの街の住民を爆撃した米軍兵。彼らが人々の姿、顔、声を想像していたら、そんなことができたでしょうか? 日本軍抑留所には、当時オランダの植民地だったインドネシアにいたすべてのオランダ人が抑留されていました。何百万人ものインドネシア人に対し、わたしたちはせいぜい数十万人しかいなかったにもかかわらず、戦前は彼らを支配していました。日本人がわたしたちから支配権を奪い、権力を握るまで。 わたしは母、妹、弟と共に女性の抑留所にいました。バラックに大勢の人が詰めこまれ、ひどい空腹と悪臭に苦しみ、水も薬も十分ありませんでした。ほぼ毎日、誰かが亡くなり、その多数は子どもでした。日本兵は抑留者全員が強制的に見せられる暴力的な罰によって、わたしたちを従わせました。それでも、逃亡したオランダ人はほとんどいませんでした。逃亡が容易だったわけではありません。抑留所は鉄条網で取り囲まれ、マシンガンで警備されていましたし、1日2度、点呼がありました。でも、実際にわたしたちをためらわせたのは、たとえ逃亡してもすぐに見つかってしまう、わたしたちの白い肌でした。 孫娘のクラスには彼女自身を含めて数人、褐色の肌の子どもがいます。残りは全員、白人です。「あなたの白い肌のせいで!?」それは彼らの想像力を超える事実です。 抑留所の外は全員、茶色い肌のインドネシア人か、黄色の肌の日本人でした。白人は皆、抑留されているはずです。インドネシア人が逃亡したオランダ人を助けてくれるかどうかもわかりません。日本人が来る前にはわたしたちが彼らを支配していたのですから。日本人ほど残酷ではないにしても、いつもやさしかったとは言えません。 戦前、肌の色はなんの意味ももっていませんでした。学校には白人の子どもしかいなくて、家の手伝いをしていた人がみな茶色いことには気づいていましたが。抑留所に来てはじめてわたしは知ったのです。鉄条網と武器だけではなく、わたしの白い肌もわたしを捕らえていることを。 わたしはクラスの子どもたちに、暴力の対象になった他の集団を知っているか、尋ねました。アパルトヘイトの時代の黒人、と彼らは答えました。そしてもちろん、アンネ・フランク。ユダヤ人が黄色い星で区別されたのも同じことです。事実を尋ねる質問から彼ら自身の体験談へと、子どもたちの会話は移っていきました。そういうわけだったのか! どんな肌の色でも危険に陥る可能性はあるのだ……。黒い肌の男の子が、自分はいつもどこから来たのか尋ねられる、という話をしました。「アムステルダムから来たって言うと、その前はどこの国から来たのか、聞かれるんだ!」クラスメートから彼の不満に同意する声が上がり、男の子は恥ずかしそうに周りの子どもたちにほほ笑みました。 オランダ社会が不穏になるにつれ、路上で、バスの中で、店で、待合室で、黒い肌の人々は、次第にずけずけとした質問を受けるようになってきました。大多数をなす白人たちは、なんとしても有色人種の人々を避けないようにしているようです。でも、彼らも気づくべきなのです。いつまでも外見的な特徴ばかりを見て話しかけられることが相手をどんな気分にするものか、を。こちらからも自分の出身について話すだけでも、会話はちがってくるでしょう。でも、有色人種のマイノリティーが多くの社会問題を彼らのせいにされている今現在、単にやさしい気持ちで尋ねたことでも、相手には責任を問いただされているように聞こえることもあるでしょう。 抑留所での体験をとおして、わたしは人がその特徴によって集団に分類されることの危険性に敏感になりました。それが生まれつきの身体的特徴であろうと、自分自身が選んだ宗教やその他の特徴であろうと、です。暴力行為は無実の市民を爆弾が攻撃するように、空から落ちてくるだけではありません。地上でも、集団あるいは個人を対象に暴力がふるわれるのです。そこには人々が徐々に人間的な特徴を失い、標的となっていく過程が常に存在します。わたしたちは想像力を保ちつづける努力を決して忘れてはならないのです。 クラスの女の子がおじいさんの話をしてくれました。半分、インドネシア(モルッカ諸島)の血が流れていましたが、認めようとしませんでした。おじいさんは決して日光浴をせず、なるべくオランダ人らしくしていました。誰かが外見のことを尋ねると、自分は100パーセントオランダ人だ! と怒ったそうです。 浅黒い肌をしていると、どこに属しているかをよく尋ねられます。自分をオランダ人だと感じますか? それともモロッコ人? 多くのインタビューで、当然のようにその問いがなされます。外国出身のオランダ人サッカー選手は、オランダチームの一員としてプレーしたいか、尋ねられます。わたしには父親が外国人の孫たちがいます。この記事の中で話題にしている孫娘は、外見からそれがわかります。他の孫たちにおいては、名字がそれを明らかにしています。彼女たちも常にオランダと父親の国のどちらかを選ばねばならないのです。 抑留生活のちょうど半ばごろ、日本人はユダヤ人を隔離しました。ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人にしていることが噂になってはいましたが、遠いアジアの国では安全なように思われていました。そこに、一滴でもユダヤの血が混ざっている者は他の抑留所へ移送されねばならない、という命令が下りたのです。母は大変なショックを受けました。わたしたち、彼女の子どもたちはユダヤの血が流れていたからです。彼女自身はユダヤ人ではありませんでしたが、夫がユダヤ人だったので、わたしたちは半分、ユダヤ人だったのです。ユダヤの法律ではユダヤ人の母親をもつ者だけがユダヤ人とされていましたが、日本人はそんなことは考慮しないでしょう。 母は眠れぬ夜を過ごしました。子どもたちはユダヤ人だと名乗り出たら、子どもたちを引き離されてしまいます。男の子たちが10歳になると母親から引き離されるのを、わたしは何度も見てきました。母親たちは絶望を目にたたえてトラックを追いかけ、男の子たちは強がって平気なふりをしていました。わたしの弟は幸いまだ10歳以下でした。このまま半分ユダヤ人であることを隠し通そうか? でも、もしばれたり密告されたらどうなるだろう? ウェルトハイムという名字はユダヤ人のものだし、日本人の指示に従わないと残酷な罰が与えられます。父は自分の抑留所でユダヤ人だと名乗り出ただろうか? そしてそれはここに通報されているだろうか? 結局、母は自分もユダヤ人であるふりをすることにしました。そうすれば、わたしたちはみな純粋なユダヤ人で、母もユダヤ人の抑留所にいっしょに移ることができるからです。 朝早く、わたしたちは門の前に他のユダヤ人と共に集合し、トラックに積み込まれました。新たな抑留所はもっとひどいところで、より食べ物が少なく、より病気と暴力が多いのです。日本人はドイツ人の真似をしてユダヤ人を隔離しました。でもヨーロッパとは異なり、わたしたちを殺すことはありませんでした。すべての抑留所でユダヤ人が隔離されたわけでもありませんでした。父の抑留所ではおこなわれましたが、父は自分がユダヤ人であることは隠し通せる、と予測しました。男性だけの方が子どもを連れた女性よりも、危険を冒すことができたのです。その間にもヨーロッパでは父方の親戚ほぼ全員、殺されました。ユダヤ人の祖父母はオランダ降伏の日に自殺しました。 母が迫られた選択――子どもたちを失うことになるか、残酷な罰を受けることになるか――は非人間的なものです。彼女が取った解決策は工夫に富んだものでした。でも、ユダヤ人の抑留所はよりひどいもので、人が餓死するところでは〈よりひどい〉か〈少しはまし〉かは命に関わる問題でした。 この〈人種的〉選択はその後のわたしの人生において重要な問題になりました。わたしたちはユダヤ人か非ユダヤ人か、100パーセントどちらかを選ばねばなりませんでした。でもわたしはどちらにも属していると感じるのです。そして、誰もが中間の形であることを許されねばならない、と思うのです。遺伝的にだけではなく、文化的にも。わたしは10年間、インドネシアの熱帯で暮らし、色、形、音、そして礼儀作法をもそこから自分に取り入れました。匂いはいまでもわたしを昔の記憶へ連れ戻します。バティック柄が好きですし、インドネシアの村の雄鶏はオランダの農家の雄鶏とまったく別の声で鳴くことを、誰にも否定はさせません。そのなにもかもを、わたしはここ、オランダで育った人たちと共有していません。戦後、オランダに住みはじめたわたしは、クラスメートが自分とまったくちがうことで笑うことを知りました。つまり、わたしは文化的にも〈100パーセント〉ではないということです。わたしは自分のアイデンティティーの中で、異なる文化を組み合わせているのです。 これほど多くの戦争と人種的な暴力の後、いまだにまだこれほど多くの人々が互いを、そして自分自身を集団の中に閉じ込め、それによって――たいていは気づかぬうちに――新たな暴力の誕生に加担していることに、当惑を覚えずにはいられません。彼らの想像力は、美しくさまざまな面をもつ人間の精神が、断片に砕かれたりしないものだと気づくことができないのです。そして、その断片の1つだけを元に1つの集団に属することなどできないことを。 多くの移民とその子孫には複数の血が混ざっています。ハーフ、クオーター、8分の1。そして、遺伝的には純粋な血を引き継いでいても、たいていの場合、文化的にはやはり〈ハーフ〉であり、人格の中に異なる文化のコンビネーションが存在しているのです。そしてその文化自体が――オランダの文化も含め――単一ではないのです。国民が個別の集団に分散していく世の中においては、そのようなコンビネーションのアイデンティティーは疑わしいものとされがちです。社会の一員であることを望まないように受け取られる危険をはらんでいるのです。わたしたちが日本軍抑留所でしていたように、人々は常に危険を予測し、自分たちの言動に慎重にならざるをえなくなります。自分の出身国への愛着を示すことが追放を招くこともあるし、逆に移民先に同化してしまえば自尊心を失うことにも繋がりかねません。血が混ざっていると〈100パーセント〉とは認められません。でも、わたしの孫娘も〈ハーフ〉と呼ばれることを嫌います。(そして、〈ダブル〉と呼ばれることもやはり嫌なのです。)あなたはコンビネーションなのよ、とわたしは彼女に言います。〈コンビ〉と呼ぶのはどうかしら? 彼女は顔を輝かせてわたしを見つめました。 何千年もの間、人々は地球であらゆる方角に移住したり、異なる国々に住んだりしてきました。それにより、世界人口の大部分がいまでは遺伝的・文化的に混ざり合っています。グローバル化によって今後、それはさらに一層、進むでしょう。すばらしいことです。限定された特徴のある集団が減れば減るほど、特定の集団への人種的、あるいは別の形の暴力は少なくなります。 すべての人が自分のアイデンティティーを自ら定めるようにしてはどうでしょう? そのアイデンティティーは、単に出身や文化を強調するだけのものではなく、それ以上の様々な要素を含んでいるべきです。生まれつき、あるいは人生の過程で得てきた要素――女性、男性、恋人、子ども、孫、親、介護者、祖父、祖母、姉妹、兄弟、出身、肌の色、性的傾向、興味、才能、能力、仕事、感情、信条、信仰の有無、バックグラウンド、ライフスタイル、情熱…… 誰もがそれらを組み合わせたアイデンティティーをもっているのです。 わたしたちはみな、〈コンビ〉なのです!
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